ARTICLEアーティストのリアルを届ける特集記事
芸術に限ったことではありませんが、⼈が⽣み出すものはその時代を表わしたり、その先を⽰すはかりのような役割があると思います。
コロナ、反⼈種差別運動、⾃然災害と、世界中が右往左往しているこの時期にはどんな表現が出てくるのだろうと、とても気になります。
今回は、ニースでついこの前始まった夏のアーティスト展についてお伝えします。
展覧会タイトルはその名も Voilà L’éte = 夏が来た!です。今までひっそり過ごしていた時間から⼀気に太陽の熱と共に外に出てきたイメージです。なんと総計100名以上の作家の展⽰。ニースで活動している作家たちがそれぞれ別のアーティストを南仏中⼼に招待してその⼈たちの作品も展⽰するという企画です。ほとんどの出展作品は⾃宅待機中またはその後すぐに作られたものです。
展⽰会場は「お久しぶり。」ニースの⼈々の⽣活をたずねる(後編)の記事に登場したアガタが活動しているアート施設です。街の中心地から少し離れた工業地区にあります。元々は食肉工場でした。
分厚い鉄の扉は昔工場だった時のまま きっと冷蔵室だったのでしょう。今は映像作品を流す部屋として使われている
⼟地の管理はニース市が⽀援しています。
作家⽀援について
この展覧会はしばらく活動が余儀なくされていた作家たちのために展⽰の場を設けるために⾏われました。スタジオ閉鎖期間中の家賃の⽀払いを伸ばしてもらったり、500ユーロの⽀援を受けたりしながらの今回の展覧会。それでも⼗分ではないと思うのですが、⽇本に⽐べれば、芸術・芸能⽂化の分野が社会の中で重要視されているのが伝わって来ます。他の美術館や⼩規模ギャラリーも外出禁⽌令解除後の再開許可が飲⾷店などより先に出されていました。
参照:http://le109.nice.fr/programmation/voila-l-ete
アーティストのスタジオや展⽰スペース、建物の裏にも劇場や屋外空間があり、展⽰会やイベントを年中通して⾏っています。
⼀番⼤きく⼀つなぎになっている展⽰スペースはとにかく広く、⼈と間隔を空けて鑑賞するにはとても適しています。しかしいくら広いと⾔っても、今回はこれだけ様々な作品が仕切りなくあると、はっきり⾔って何を⾒ているのか分からなくなって残念だなと思いました。ある意味、混乱した世の中そのものみたいで良いのかもしれませんがそれぞれの作品としては映えません。全体的な印象としてはゆっくりした時間の経過や、異次元の空間、内⾯的葛藤、を感じる作品が多かった気がします。
このたくさんある展⽰の中で⽬を引いたのは逆に控えめでシンプルな作品でした。
その2点をご紹介します。
Florent Mattei
Ici sous le même ciel, 2018-2020
⼀つ⽬はニースで活動しているフロレン・マテイさんの作品です。タイトルは「同じこの空の下で」です。2018 年から撮りためた⽩⿊写真をスライドショー形式で投影しています。
どの画像にも⼀⾔書いたサインを持っている⼈が写っています。昔からあるデモ⾏進やヒッチハイクなどの場⾯にこのような様⼦を⾒ることがありますが、今だと⾃然に隔離状態でコミュニケーションを取っている⼈たちに⾒えてきます。「いいえ」、「それで?」、「次は私?」、「どいて」など、様々な⾔語で書かれています。どことなくユーモアがあると同時に、どう⾔う意味で書かれた⾔葉なのか、どんなストーリーが背景にあるのか想像が掻き⽴てられます。きっと観客それぞれが経験した最近の状況や考え⽅で⼀つの⾔葉からいろんな解釈が⽣まれるでしょう。
投影機の設置微調整に本やアダプターが使われています。こういう細かい部分にも作家の⼈柄が⾒えます。
Florent Mattei ウェブサイト:http://www.florentmattei.com/
Quentin Dupuy
Dessous, 2020
2つ⽬の作品はマルセイユで活動しているクォンタン・デュピュイさんの作品で
す。タイトルは「下に」です。10枚 1 組のポストカードシリーズと、よくホームセンターに売ってある庭に鍵を隠しておくための偽⽯をそのままそっくり作っています。ポストカードを収めておく容器として、額縁として、2つの機能を果たしています。
簡素な展⽰でサイズも⼩さいのですが、画⾃体が奇抜で⽬を引きます。抽象的な洞窟の形といかにも⼯業的な⼈々の作業⾵景の組み合わせが奇妙なんだけれども、うまい具合に合体させられています。⼀瞬、本当にこのような場所が存在するのかと思ってしまうほどです。
たまたま本⼈に直接会うことができたので、どうしてこの作品をこの時期に作ったのか聞いてみました。
「今回のパンデミックは資本的社会のシステムが⼤きく影響していると思う。資本的社会の裏側には⼈の⽬に⾒えない労働が隠されている。洞窟は⼈間が神秘的できらびやかなイメージを投影する⾃然の空間で、芸術や技術の発端の場所でもある。それと、現代の効率的なイメージとはかけ離れた⼈⽬にはつかない現実の労働の姿を組み合わせてみたかったんだ。」⾃宅待機中、元々あった洞窟写真のポストカードによそから拾って来た働く⼈たちの画像をフォトショップで地道にこつこつとコラージュしたそうです。「⾏動が限られて、集中して制作できた。」と正にこの時期を反映した制作だったようです。
Quentin Dupuy ウェッブサイト:https://quentindupuy.fr/
シンプルが可能性を掻き⽴てる
熊本ではどんな展覧会があっているのか気になったので検索してみたら、現代美術館の⾕川俊太郎展という、詩を主体にした展⽰があっているのを発⾒しました。個⼈的には詩にはあまり興味がないのですが、⾕川さんの詩に⾳楽と映像をかけ合わせた体感型作品や「展⽰空間ならではの仕掛け」があるそうで、⾯⽩そうだなと思いました。詩に他の要素を⾜すことで具体化されて想像の域が狭まる⼀⽅で、また違った⾔葉の意味や雰囲気を感じることができるんじゃないかなと思います。
この⾕川さんの「詩」の展覧会や、マテイさんの⼀⾔サインのスライドショーや、デュピュイさんの洞窟ポストカードのようにシンプルだからこそ想像を広げてくれるような作品に惹かれるのは、物や情報が溢れているこの時代だからでしょうか。
⾕川俊太郎展:https://www.camk.jp/exhibition/tanikawashuntaro/
Writer
マキコ 1988 年熊本県生まれ。白川中学校を卒業後カナダへ。公立高校卒業、芸術大学卒業、キッズアートスクールで働き、バンクーバーの雨にうんざりしたのとカナダ滞在 10 年を区切りに帰熊。文房具屋、発達しょうがい児支援所、味噌・醤油・酢屋、熊大の非常勤講師、クラフトビールバー、個人的に英会話を教えるなどして、色々な職業を経験。今度はヨーロッパへの好奇心が押さえられなくなり、フランスで最も太陽が照る街ニースへ。ビラ・アーソン芸術大学院に就学中。