ARTICLEアーティストのリアルを届ける特集記事
熊本で活躍するアートヒューマンに「日々のモノづくりで考えていること」、「モノづくりに賭ける想い」について聞くインタビュー企画の第8弾です。
インタビュイーは今年の8月に熊本市内のファッションストリートに自身のブランド「SANLDK」の新店をオープンしたデニムクリエイターのkyonさん。
話を聞くべくお店に足を運んだ私の前に現れたkyonさんは、左足は青、右足が赤色の色違いのスニーカーを履いており、デニムの両膝が大胆に破れている。また黒のベレー帽から少しだけ覗く髪色は白に近い黄緑色で、かなり奇抜な装いと言ってもいいかもしれない。
だが、まず私が強く印象づけられたのは、そのまわりに纏った寛いだ雰囲気と、ご機嫌そうな表情だった。その雰囲気と表情は一見奇抜に見える服装と、とても合っていたのである。
ファッションについて特に知識があるわけでもない私には、それがオシャレかどうかなのかはわからない。が、人は見た目が9割という論でいくなら、とても「らしく」生きている人ではあるな。そんな風に、まずは思った。
kyonさんに話を聞いていて感じたのは、その芯の強さ。外見のゆるさはカモフラージュなのか? と思ったりもしたが、そんな策略がある風でもない。
ああそうか、裏表を分けているわけではないのだ。彼にとっては、好きな服を好きに着てごきげんに過ごすゆるさも、自分らしさを阻害するものに対する強い反骨心も、どちらも彼の表であって、裏なんてそもそも持ち合わせていないのだ。
そんな彼の話から、「個」を尊重してハッピーに生きていくためのヒントを探ってみた。ぜひご覧ください。
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INTERVIEW FILE 08 kyon ー KYOSUKE FUJIMOTO
はじまりはDIESELの4万円のデニム
ーーkyonさんは子どもの頃からファッションが好きだったんですか?
興味を持ちだしたのは中学生くらい。ちょうどその頃、裏原系ファッションが流行ったんです。みんな古着で買ったLevi’sにstussyのTシャツとかを合わせてて…でも僕は元々人と被るのが大嫌いだったんで、そこでDIESELのパンツに走りました。
ーー中学生にとって、DIESELのパンツは高かったんじゃないですか?
そうなんですよ。だから必死にお小遣いを貯めて、はじめて自分で思い切って買ったのがDIESELの4万円のデニム。そこからどんどんファッションが好きになっていって、大量に買いこんだアバクロにDIESELのパンツを合わせるのが好きでした。
野球をしてたんで、実はそんなに私服を着る機会ってなかったんですけど(笑)。とにかく好きで、めちゃくちゃ買ってました。で、高校出て大学に入り、2年生のある日、将来何しよう?って考えたことがあって。そのときに、好きなことでご飯が食べれたらなって思って、迷わず洋服屋さんで働くことに決めました。
ーーどこかのブランドショップでバイトを始めたんですか?
いえ、とりあえず大学を辞めました。
ーー辞めちゃったんですか?
はい。親には「本気でそっちの道にいくなら、大学に行きながら、どこかのブランドショップでバイトするとか経験積んでからにしなさい」って反対されたんですが、俺はそぎゃんことやってられんって。
ーーなんでそんなに急いだんですか?
急いだとかではないです。ブランドでショップ店員をやるってなると、「そこのブランドの服しか着てはいけない」みたいなルールがあるじゃないですか。でも俺は例えばディーゼルとアバクロを組み合わせるみたいに、色んな服をその日の気分で合わせたいねんって思ってたから。
例えば朝ごはんでも、今日はごはんに合わせたいのはキムチだけど、明日は卵かもしれないし、たまにはパンに納豆乗せたいこともあるでしょみたいな。明日の自分がどうしたいか、今日の自分には分かんないんで、そこが縛られるのが単純に嫌だっただけですね。
そうなると、自分の好きにするなようにするには、自分のお店を作るしかないんで、とりあえず借金したんですが。そこである人が場所を貸してくれることになって、セレクトショップを開き、1年ほど商売の経験を積む中で一通りお店の回し方みたいなことを学びました。
自分でデニムを作りたい…やってみたら俺にはできんかった
そのあとその経験を生かして、自分で決めた店づくりを0からしようと思い、新しく探した場所の敷金と家賃を半分納めて、内装工事も進めて、あとフィッティングルームを作れば完成するって段階になったときに、当時の彼女が子供を授かって。
自分が旦那になり父親になるってことで、あらためて今後の自分の生き方を考えてみたんですが「俺ほんとにこれでいいのかな?」と思ったんです。
で、そのときに、「自分のブランドを作りたい」って気持ちが強いことに気づいたんですね。それで、どうせ作るなら、俺はデニムを作りてえと。セレクトショップやってるときに、常にブランド的には30~40種類のデニムを店に並べてて、もちろん自分でも試着したり買ったりもしてたんですが、その中でもやっぱり自分の体型にしっくりくるものもあれば、こないものもあって。
特に俺なんかは野球をしていたので、下半身が太くて、そういう人ってなかなかデニムをかっこよく着こなしずらいんですよね。でも、そういう人含め、それぞれの「個」になじむ、美しいシルエットのデニムを作りたいなって思って、完成直近だった店づくりを止めちゃいました。
ーー奥さんは反対しなかったんですか?
そこは、「なんとかなるど」って感じにふたりでなりましたね。
ただ洋服の作り方分からんしねって。それで、つてをたどって専門学校を出た人に専門用語とか洋服屋をするために必要な概念を教えてもらったり、夜間の専門学校に通って実際にデニムを作ってみたりして、分かったことがあったんです。
ーーなんだったんでしょうか?
俺にはデニムは作れない。まずパターンを引くところからつまずいて、うだうだ言いながらも、なんとか1本を縫い上げたんですが、これは一生かかっても俺にはうまくできないと思いましたね。これは工場でやってもらわんと厳しいし、それならパタンナーさんも探さんといかんなと。
ただ、1回やってみたからこそ、1本を作るのにどれほど手間がかかるかってことも、それをやる職人さんがどれほどすごいのかってことも分かったのは良かったですね。
それで、片っ端から工場やパタンナーさんをネットで調べて、大手から小さいところ、個人までDMを送ったり電話したりしたんですけど、なかなか相性の合うところに出会えなくって。
パタンナーさんに関しては、たくさんのブランドが生まれる関西と違って、九州にはパタンナーさんが食べられるような仕事がないみたいで……とにかく、全国どこでもいいから根気よく探そうと思ってたら関西の人から電話が来たんです。コメダ珈琲でコーヒー飲んでる時でした。
ーーそれは嬉しかったでしょうね。
ものすごい興奮しました。「ちょっとお話聞かせてください」ってことだったんで、「じゃあ僕大阪行きます」って、すぐに飛んでいきました。
ーーすごい行動力ですね。
うだうだ考えてるより動く方が早いなって思って。それで、パタンナーさんに会って「こういうの作りたいんです」って話をして、自分でパターンひいてみた経験から職人さんへの敬意もあるんで、対価はどれだけでもお支払いしますってことも言いました。
そうしたら「いいですよ」って言ってもらえたんで「じゃあ一生お願いします、死ぬまでお願いします」てお願いして、その足で岡山に向かいました。
ーー岡山に? 何故?
DMや電話じゃダメだった工場にアポなしで寄って直接お願いしてみようと思って。大阪から熊本に帰る途中だったし、せっかくだから寄ったんです。5つ回ったうちの4つが門前払いだったんだけど、最後に訪ねたところが、覗いてたまたま目の前にいたのが社長さんで。
「デニムが作りたくて熊本から来ました」って声をかけました。
ーー緊張しますね…それからどうなったんですか?
「中に入って」て言われて。そこで出来る出来ないの話よりも、工場の現状について教えてもらいました。
って言うのも、今ってどこでもメイドインジャパンって、うたっているじゃないですか。色んなメーカーが元々は中国で安く縫製していたのが、「やっぱり日本がいいかな」ってなって国内の工場に縫製をお願いし始めたんだけど、「海外と同じ工賃でやってほしい」ていう無茶なお願いが増えてしまって、工場としては割に合わない。
だからその分、数をこなしていくしかないので、俺みたいに「30本お願いします」っていうのは個人だと厳しいんだと教えられて「わかりました」と。その後また「日本 デニム 工場」ってひたすら検索、連絡を繰り返す日々が続きました。
ーーせっかく足を運んだのに、残念でしたね。
でも勉強になったし、結果にならない行動もたくさん積み重ねてはじめて結果がでると思うんで……スポーツと一緒です。探しているものを見つけるために検索したり、それで発見したりするのも好きなんで、まあ楽しかったです。
それでもう考えられるだけの組み合わせで単語を検索して、出会ったのが今お世話になってる工場。「デニム1本からでもやります」ってサイトに書いてあった秋田の工場で、秋田とか熊本からしたらもはや海外みたいなもんなんで、ドキドキしながら連絡したら「まいど!」って社長が電話に出て(笑)。
関西出身の方みたいで、すぐに打ち解けて、お願いできることになりました。関西に縁があるのかなあ。
ーー見つかって良かったですね!
それからパターンをひいてもらって、本生産があがってくるまでに1年くらいかかっちゃったんですけど、2年前にファーストモデルをリリースできて、今も店頭で販売してます。
作りたいのはリメイクで作るオンリーワンなデニムたち
ーー作りたかったデニムがついに完成したと!
で、ふと思ったのが、あれっ、この後俺やることないなって。
デザインだけして、あとはパタンナーさんと工場がやってくれるんで。デザインするだけなら誰でもできるし。それじゃあ面白くないなぁ、ここからどうしようかな? って考えていた時に出会ったのが、今力をいれている、リメイクでした。
ーーリメイク! どんなきっかけだったんでしょうか。
普段からよく行くセレクトショップでいつも通りデニムをチェックしてたら、なんか見慣れない新しいブランドが入ってたんです。気になって店員さんに「これなんすか?」って聞いたら「ブランド名はオーバーデザイン。今度店頭受注会やるんだけど、デザイナーさんも来るから良かったらおいで」って言ってくれて。
それで当日行ってみたら、そこに見たこともないくらいカッコイイデニムがずらっと並んでるんですよ。しかも全部ハンドメイドでリメイクされていて、これはやばいって思いました。
思わずその場で「弟子にしてください!」って言ったら「自分でやってみ」って言われて。そっから俺は勝手に師匠って呼んでるんですけど。その日からオーバーデザインのデニム画像とかをひたすら見て、どうやってるんだろう? と見よう見まねでリメイクを始めてみたんです。
そしたら、リメイクってやり方がいっぱいあって、人それぞれ全然違うわけです。同じデザインでも、一個一個に違いが出るんで、人と被るのが大嫌いな俺としては「これや!!」って思って、お客さんに「持ち込みのデニムをカスタムしますよ」ってサービスを千円で始めました。最初は全然需要なかったんですけど最近はちょこちょこ入ってきます。
実際に持ち込んでくれたデニムをカスタムした一着を着て県外へ行った時とかに「それどこの?」と言われたと喜んで話してくれるお客さんの姿を見たりすると、ものすごく嬉しいですね。世界に一着だけの「個」が出たデザインなんで、それを褒められることは、お客さんの自信にも繋がるでしょうし。
ーーどんな風に一着カスタムするんですか? かかる時間ですとか…。
簡単なのはすぐ終わりますよ。一着8時間とか。
多いのはお任せです。はじめて来たお客さんで、好みとか、普段着ているものがあんまり分からないときは、好きなモノとか、生活の様子を聞いて、デザインに落とし込んでいきます。パンチの効いたものから控えめなものまで様々ですが、カスタムをすることで、お客さんのことを詳しく知ることができるのも面白いです。
逆に悲しいのは、自分的に上手くカスタムできたと思っているデニムが売れない時です…こればっかりは、僕の好みと切り離すことも必要なんで、雑誌を見たり、他のお店を回ったりして、勉強中ですね。
ーーカスタムに関しこれから力をいれていきたいことはありますか?
材料もデニム生地も、全部お客さんが自分で選べるようにしたいですね。今カスタム用に、新しいデニムを20型ほど作ってるんですが、そこにリメイク用のスタッズとかスターとか必要な材料も集めて、お客さんが自分でああでもないこうでもないと、とびきり気にいった世界にひとつだけの組み合わせが考えられるスペース…そんな場所を店内に用意したいです。
そういうことを通して俺はもっとみんなに「個を出そうよ」ってことが言いたいんですよね。例えばよく「東京に行きたいと思わなかったの?」と聞かれることがあるんですが、俺は全然思わないですね。なんでっていうと、熊本の全部が大好きだから。
飯が美味くて、水も旨くて、人も良い。みんな都会みたいに焦ってなくて、のんびりした空気感があるというか…それが「個」の魅力じゃないですか。
アメリカでも西海岸と東海岸でカルチャーが違うように、東京と熊本それぞれでかっこいいカルチャーがあればいい。そんな風に、土地も人も、個を出して生きていくのが、ハッピーだと考えるんで。その「個を出す」ってことを、俺は服に教えてもらったんで、服を通してみんなにも、その楽しさを伝えていきたいなって思ってます。
ーーなるほど。でもブランドを広めたいなら、東京の方がチャンスも多いのでは?
そうですね、そこは、だからこそ熊本でやるっていう、業界への挑戦の姿勢というか。あえて熊本から、全国に、世界へ発信するブランドをやっていきたいっていう思いがあるんですね。そのことで、熊本の若者たちに「地元でも面白いことできるぞ」ってことを伝えていきたいんです。
「俺はこう」自他の個を尊重し、熊本と世界の架け橋になる
ーー最後に聞きたいのですが、お話しいただいたこれからやりたいことなどを叶える場として、こちらの新店は作られたんでしょうか。
そうですね。まずはファッションやリメイクに興味を持ってもらう機会を増やしたかったんで、作業場はわざと見える作りにしました。それでカスタムする様子とか、服が生まれる瞬間を見て、興味を持ったり面白がってもらえたりしたらなって。
同じ理由で立地は街であることにもこだわりました。家賃問題とか色々あったんですけど、街からファッションを発信することで、今の若い子たちをちゃんと育てていって、熊本独自のファッションカルチャーみたいなものが長く残るようにしていきたいなと。そのためのに興味を持ってもらえるひとつのきっかけになればって思ってます。
あと街にこだわった理由はもうひとつあって、洋服屋でありながら、観光客に対して地域のディープスポットなどを紹介できるアンテナショップにもなれたらと思っています。僕はジャンルレスな人間なんで、いろんな人が自由に集まって、一緒に色んなことにチャレンジできる場になっていったら面白い。
そんなスタンスで街にお店を構えることで、県内の若者にも、県外の人にも、熊本の良さをもっと知ってもらいたいと考えています。それと、今行きたいと思ってるのはアジア。熊本からせっかく近いんで、時間を作って、あっちにミシンを持って行って向こうで縫ったり、イベントをしたりできたらいいなあと。そうやって、色んな個の架け橋みたいになれたらなとも思ってます。そして、そんな存在になれるころには、さらにアップデートした高みに向かって、また何かしら行動してたいですね。満足することは一生ないと思うんで。
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印象的だった言葉は「やめました」。これは違うと思ったら、それまでに注ぎ込んだお金や時間を投資になんの執着もせず手放す思いっきりのよさ。何度も手放しては0からやり直す。でもそれで「飽きっぽい」などのネガティブな印象を受けないのはkyonさんの中にブレない芯があり、彼はただ目的を最短で達成するために猛スピードでPDCAサイクルを回しているだけに過ぎないんだということが自然と伝わってくるからだと思う。
「新卒で3年は勤めないと転職できない」「若いうちに転職を繰り返すのは良くない」ー本当にそうだろうか? 目的が明確に定まっていて、その目的に向かって最短で進む道がそうであると、他の誰でもない自分自身で確信できているのであれば、1社に居続けていようと、何社も渡ろうと関係ないのではないか。自分という「個」に、嘘をついてさえいないのであれば。
そんなことを考えながらの取材の帰り道となった。
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次のアートヒューマンは熊本で、夫婦それぞれに活動されていますえりなワールドさんとmotoatomさんです。更新を楽しみにお待ちください。
それではまたー!
(浅田よわ美)