ARTICLEアーティストのリアルを届ける特集記事
お待たせいたしました。前回は熊本のパンを愛する人、キチジツベーカリーの店主について書かせていただきました。今回はニースのパンを愛する人、パンをテーマに作品を作る大学生についてお話しします。
モロッコからニースへ
フランスには色々な人種の人が住んでいます。その中でもモロッコ人は多い方で す。私の通う芸術大学にも数名いて、その内の一人のマイサン・アリブライミは大 学 2 年生。今年からパンをテーマに作品作りを始めました。
モロッコの高校を卒業し、18歳でパリの芸術予備校に通うためフランスに来まし
た。モロッコにはアートを学ぶための学校は全くないそうで、ずっと前から自分の道を進むためにフランスに来ることを決めていました。建築は勿論、一般的な生活用品でも装飾がきらびやかなイメージのモロッコですが、全体的にアートへの関心がとても薄いそうで、美術館や博物館へ行ってもほとんど観客がいないそうです。
ニースのバゲット
マイサンのインスタグラムアカウントはその名も baguette_de_nice = ニースのバゲ ット。この名前にした理由は2つあります。一つ目の理由は、彼女がモロッコに住 んでいた時に食べていたパンは丸型のバトブットというパンでしたが、フランスに 移ってからはバゲットを食べるようになりました。バゲットは彼女にとって自分の 環境が変わったことを象徴するシンボルです。2つ目の理由は掛け詞です。「バゲ ット」はアラブ女性を意味する「バレット」という言葉に発音が似ているので、ニ ースのアラブ女性という意味をこめてニースのバレット→ニースのバゲットとなっ たそう。そんな彼女のインスタグラムにはニースやモロッコの道端で撮った写真が たくさん載せてあります。積み重ねられた皿、捨てられている木の板、ぎっしりと 並べられた日用品。一見そんなに特別な風景ではなくてもその画の中のある特定の 色、形、コンポジションに彼女は目が引かれるそうです。どうしてそれらの要素に 惹かれるのか分析するためにインスタグラムを自分のための調査ノートとして使っ ているそうです。
丸いパン、神聖なパン
若い内にモロッコを離れ、フランスも自分の人生の一部になりつつある中、2つの面を持った自分自身の在り方についていつも問いかけているそうです。「フランスに居るとモロッコ人としての自分についてよく考えるし、久しぶりにモロッコに帰って家族に会うとなんだかフランス人化している自分に気づくんです。」
パンも形は違えども両国に存在するもの。そこで彼女はパンをテーマに自分自身を表現する方法を考えることにしたそうです。
まずはモロッコのパンについての調査を始めました。彼女はモロッコでは下の写真 のようにバトブウトという丸いパンを食べます。バトブウトはシンプルにセモリナ *、イースト、と水をこね、フライパンで焼いたものです。これを毎朝、その日の朝 晩の2食分、お母さんが作るのだそう。もちろんパン屋さんも存在しますが、大体 どこの家庭もパンは家で作るそうです。ちなみにフランスでは一般的にパン屋は男 性の店主が多いですが、モロッコではパンを作るのは家でもお店でも主に女性の仕 事だそうです。
朝食はこのバトブウト一枚を4等分に割り、さらに半分にスライスし、バターと蜂蜜、もしくはピーナッツバターのような他のナッツの入ったペーストを塗って食べます。
お昼にはファコサという、これもまた丸型のパンで、食感はパンとブリオッシュの掛け合わせのような感じで、バトブウトより柔らかいパンです。例えば、タジン鍋のお汁につけながら食べるそうです。
このようにモロッコには丸型のパンがたくさんあります。窯にパンを出し入れするときに使う道具(ピール)も丸型です。マイサンはこれを作品の一部に使うため学校の鐵工所で自作しました。
モロッコ製ピール
マイサン自作ピール
これを床に置き、更にバトブウトをその上に何枚も積み重ねて展示するそうです。ものを積み重ねる習慣はモロッコのマーケットによく見られます。とても狭い空間の中でたくさんの物を売るため、このような状態になるそうです。そして作品としてピールごと床に置く理由は、モロッコではパンはとても神聖な食べ物で、床に置くことはまずないそう。前回の記事の冒頭でも書きましたが、フランスではパンが道端に転がっていたりしますが、それはモロッコでは考えられない光景だとマイサンは言います。しかしパンを薄いピールの上に乗せてあえて床に置くことで、フランスとモロッコの文化の違いに生じる矛盾を表現します。
ピール作品完成イメージ
無駄にしない特別なパンバッグ
もう一つ同時に進めているプロジェクトはパン専用のバッグを作ることです。
バッグの生地はビニール製の袋を再利用しています。このようにモロッコのマーケットでは乾物類が同様の袋に盛って販売してあったり、椅子のカバーにも使われています。とても簡単に手に入り耐久性にも優れているので、パンバッグに丁度いいと思いついたそうです。丸型のパンはもちろん、長いフランスのバゲットもこの大きさのバッグならすっぽり、たくさん入れることができます。デザインとしても文字やちょっとしたイラストのに味が出てて良いですね。
「モロッコにはたくさんの種類のパンがあります。前回の夏休みには南モロッコを中心に色々な地域のパンを調べてまわりました。」昔は行事に合わせた特有のパンまであったそうですが、段々と種類が減ってきているとマイサン。「それで、パンの種類を記録するプロジェクトを考えています。パンバッグにそれぞれのパンの形に合わせたポケットを作り、そこにパンの呼び名と説明を添えようと思います。」更に、できたてのパンを保温できるバッグも試作中だそうです。
袖の中に入れてでも大切なパン
彼女の作品アイデアを見ていると、パンをまるで生き物のように大事にしているのが伝わってきます。マイサンのお婆さんに至っては、食事の後に余ったパンを後にお腹が空いた時に食べるため洋服の袖の中に入れて保管していたそうです。フランスではパンが毎日大量に廃棄されている一方で、モロッコでは絶対にゴミに捨てることはなく、余ったパンは食べ物に恵まれない人たちの手に渡ったり、保存したり、無駄にならないように丁寧に扱われるそうです。
今回、マイサンのパンをテーマにした作品作りの話を通して、フランスからモロッコまで、国を超えた文化の違いや食べ物を大事にする心を感じました。そう言う意味では、日本人である私からしてモロッコはそんなに遠くないなと思いました。
マイサンお勧めのパン屋さん
ちなみにマイサンがフランスで一番好きなパン屋さんを聞いてみました。そうする と、ニースではないのですがパリ5区にある Solques Bruno と言うお店だと教えて くれました。小さな店内は色々なパンがぎっしり。大量生産ではなく、職人の手で 一つ一つ丁寧に作られているのが分かります。ディスプレイの仕方も、ユニークな お皿に盛られ、食欲がそそられます。壁にも楽しげな陶器の飾りがたくさん。それらも店主の作品だそうです。どこ かしら南仏の雰囲気が漂っているなと思ったら、このパン屋の店主はなんとニース 出身でした。やっぱり人が作るものにはその人の背景がしっかり現れるんですねえ。
私たちのパン
二号に渡って熊本とニースのパンをこよなく愛し、パンを通して自分を表現する人たちについて書かせていただきました。最後まで読んでいただきありがとうございました。世界中で親しまれるパンの美味しさの裏には様々な文化背景や個人個人の想いがあります。形、色、食感、どの要素もその土地、そこで発達した文化の生い立ちが表れています。これからパンを食べる時、今までより更に美味しく感じられたら良いなと思います。
P.S. フランスでのパン袋の閉じ方
フランスで小さめのパンを買うとほぼ必ず小さな紙袋に入れてくれます。そしてその袋の閉じ方が独特なんです。袋の口の両端をしっかりつまんで、中に入ったパンの重みを利用して袋自体をくるくると回転させます。そうするとこのようにしっかり口が閉まります。これはフランスのパン学校では必ず習う手法だそうです。
*セモリナ:穀粉。穀物の中心の部分。ひきわり小⻨ともいう。
Writer
マキコ 1988年熊本県生まれ。白川中学校を卒業後カナダへ。公立高校卒業、芸術大学卒業、キッズアートスクールで働き、バンクーバーの雨にうんざりしたのとカナダ滞在10年を区切りに帰熊。文房具屋、発達しょうがい児支援所、味噌・醤油・酢屋、熊大の非常勤講師、クラフトビールバー、個人的に英会話を教えるなどして、色々な職業を経験。今度はヨーロッパへの好奇心が押さえられなくなり、フランスで最も太陽が照る街ニースへ。ビラ・アーソン芸術大学院に就学中。