ARTICLEアーティストのリアルを届ける特集記事
皆さまいかがお過ごしでしょうか。⽇本の暑い夏には背筋がゾクゾクするような怪談話が定番ですね。ここフランスのニースにも、怪談ではないけれど実際に起こった驚愕のストーリーがあります。今回は皆さんにゾクゾクを提供するためにそのお話をしたいと思います。
参照:https://www.pressreader.com/france/20-minutes-marseille/20180212/281496456746303
これは 1976 年 7 ⽉ 19 ⽇ ⽉曜⽇に撮影されたニースの街の中⼼にあるソシエテ・ジェネラルという⼤きな銀⾏です。ここがこのストーリーの主な舞台です。
いつも通りの朝
19 ⽇の朝、⼀⾒いつも通りの⾵景でした。しかし地下では⾦庫がもぬけの殻になっていたのです。銀⾏強盗と⾔えば、⿊い被りものをした⼈たちが凶器を持ってスポーツバッグに「さっさとこれに⾦を詰め込めー!」というような⼤騒ぎの場⾯を想像しますが、この銀⾏強盗はそんな典型的な強盗とは全く違う⼿⼝で、しかも誰にも気付かれず⾏われました。その⼀連の流れはまさに腕の良い脚本家と監督を⽤いて作った映画のようです。実際に映画化され3本も存在しています。
左:1979 年公開 ジョゼ・ジョヴァンニ監督 Les Égouts du paradis (邦題:銀⾏ 50 億強奪犯の掘った奪った逃げた)
中:1979 年公開 フランシス・メガヒー監督 Sewers of Gold (原題:The Great RivieraBank Robbery)
右:2008 年公開 ジャン=ポール・ルーブ監督 Sans arme, ni haine, ni violence
平凡な街の写真屋
まずは主犯のアルバー・スパッジャリ(当時45歳)の説明から。彼は若い頃、第⼀次インドシナ戦争でパラシュート隊として戦っていました。その後はアルジェリア戦争で結成された反体制組織の⼀員となり活動し、牢獄に数年⼊れられていたこともあります。出獄後はニースで写真屋をしていました。平凡な毎⽇に飽きてきた彼はある⽇ある計画を思いつきます。
知⼈伝いの情報漏泄
仕事上、ニース市役所で結婚式写真を撮ることが多く(*フランスでは役所で結婚宣誓式が行われる)、役所と関わることが多かったスパッジャリ。ある⽇、市議会議員でソシエテ・ジェネラル銀⾏に雇⽤されている知⼈からそこの銀⾏の地下室には警備アラームが設置されていないことを聞きます。これがその前代未聞の計画の引き⾦となりました。スパッジャリは直ぐに昔の兵隊仲間やギャングを集め計画を進めていきます。
実際の本⼈もにいかにも怪しい、グラデーションがかった濃いめのサングラスをかけていたそう。
恐ろしいほど地道な作業
銀⾏の⼀階部分がバッチリ警備されていても地下に警備アラームが無ければ地下から侵⼊すれば良いと思いついた彼は、銀⾏に⼀番近い下⽔道を⾒つけます。そこから⽳を掘り中に侵⼊するのです。⼈⽬に付かない経路とは⾔え、真夏の下⽔道は過酷な環境でした。むせるような汚臭にあちこち駆け回るネズミ。それでもせっせと毎⽇10時間のシフトを組み⽳を掘り続けて⾏きます。その過程の⻑いこと。⾊々な道具や地層の種類が出てきます。途中から地理学のドキュメンタリー映画を観ているような錯覚に陥ります。服装もつなぎや⻑靴で、典型的な強盗の格好とは違い、職⼈のようなのです。たった⼀つの⽯を掘り出すのに10⽇かかったこともあったそうです。
ひたすら掘り続けること約2ヶ⽉。8メートル掘ったところでやっと銀⾏の壁に達します。
恐ろしいほどの⼤胆さ
最後の壁はさすがに電動ドリルを使い、いよいよ銀⾏の中へ⼊ります。⼀階と地下室の間の床は厚く、⼀階に居た警備員はドリルの⾳にも気づきませんでした。侵⼊期間は銀⾏が⼀番⻑く閉まっている⾦曜の夜から⽉曜の朝までの三⽇間。400以上の貸⾦庫をこじ開けて⾏きます。その間、⼊浴はできなくともエネルギー補給はしないといけませんので、バゲットにパテ、ワインなど、そこで優雅に⾷事をしていたそうです。合計約42億円相当の⾦銀財宝を3往復してやっと全て外へ運び出しました。きわめつけには⼀番⼤きな⾦庫室の扉を内側から溶接し、中に⼊れないようにしてまた下⽔道から出て⾏きました。とてもたちの悪い強盗集団です。
この話の⼀番良いところは、⾎や死⼈が出ないところです。スパッジャリは⾦庫室の⽩壁に⼀⾔メッセージを残しています。
“Ni arme, Ni violence, Sans haine”
終わりなき、、ヘトヘト
誰にも⾒つかることなく隠れ家に戻りきるのですが、全員ヘトヘトです。それから今度は盗んだ⾦や⾼額品を協⼒してもらったギャングにきっちり平等に分けないといけないのでまた仕分けの地道な作業が始まります。これも三⽇三晩、交代しながら数えたそうです。
⼀⽅、警察の⽅ではあからさまな証拠がなかったため捜査は数ヶ⽉難航します。その間にスパッジャリはなんとニース市⻑主催の⽇本旅⾏に同⾏していました。しかし⽇本に⾏っている間に仲間が捕まり、何も知らずに⽇本から戻ってきた直後、ニース空港で捕まってしまいます。強盗した⾦で買った銃やバズーカなども⾃宅の倉庫から⾒つかり罪がほぼ確定されます。しかし!ここで終わらないのがこの話の本当にすごいところなのです。
下⽔道の次は、窓
ある⽇、聞き取り調査のためスパッジャリはニース裁判所の捜査官の部屋に呼び出されます。彼は下⽔道から銀⾏の地下室までの経路図 3 枚を渡します。この3枚の正確な並べ⽅を捜査官に⾒せるため⽴ち上がり説明をします。すると突然部屋の窓を開け、2階から⾶び降りるのです!
ここで⾃殺してしまうのかと思いきや、⾒事に下に駐⾞してあった⾞の上に着地しその横で待ち構えていた仲間とバイクで逃⾛します。窓から叫ぶ捜査官に向かってきちんと⼿を振ってさようならと⾔ったそうです。
参照:https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.pinterest.fr%2Fpin%2F54606
1523568316779%2F&psig=AOvVaw2ctq_dEjrU81HXaAbQNM2h&ust=1596118273836000&s
ource=images&cd=vfe&ved=0CAIQjRxqFwoTCOCF-JXS8uoCFQAAAAAdAAAAABAR
当時の新聞記事 右は本⼈の顔
その後、整形をし仮名を使いブラジル、アルゼンチン、スペイン、チリ、イタリアなどを転々とします。フランスにも時々帰って来ていたようです。その間に⼿記を出版したり、インタビューにも答えています。しかし最後まで⼆度と捕まることはありませんでした。彼の持分の20億もどこに消えたか分からずじまいです。
逃げ切っても
盗まれた⾦や品物は富裕層の⼈たちのものだったため、あまり批判を買わず、⼀時はヒーローのようにも崇められたそうです。その後の本⼈インタビュー映像の中でも、してやったりという顔をしています。あり得ないようなことを実際に⾏動に移し最後までやりきる精神はすごいなと思います。しかし何と⾔っても、⾃分の掘った⽳を埋め戻さないで、しかも⾷べカスや機材を散らかしたまま出て⾏って、⾏儀が悪いなと思います。それに無残に壊された壁や⾦庫の扉の気持ちにもなって欲しかったです。道徳⼼が全くありません。しかも隠し持っていた銃やバズーカは何だったのか、平和ぶったメッセージを残しておきながら⼀体何を考えていたのでしょうか。
強盗から12年後、彼は57歳で亡くなりました。死因は喉頭癌でした。遺
体は妻に運ばれ彼の⺟の家(ニースとマルセイユの間に位置するイエールという⼩さな街)に届けられたそうです。
意外と知らない街伝説
どうでしょう、少しはゾクゾクしたでしょうか。こんなにすごい話だというのにニースに何年も住んでいる⼈でも意外と知りません。私はニースに来てすぐ街歩きガイドツアーに参加して知りました。あまり団体で⾏動するのは好きではありませんが、なんせヨーロッパは歴史が深く謎だらけなので、ベルギーで初めて参加してみました。普通だったら⽬もくれないようなところに奇想天外な話があったり、地元の⼈に⼈気な場所を紹介してもらったりして意外と⾯⽩かったので、それ以来すすんで⾏くようになりました。帰熊していた何年かのうちにも何回か熊本街歩きガイドさんについて回りました。何回も⾏ったことがある熊本城や⼦飼商店街にも知らない話がたくさんあって⾯⽩かったです。歴史を知ると⾵景も違って⾒え、⾃分にとってより意味のある場所になるんですねぇ。おすすめです。
熊本市観光ガイド:https://kumamoto-guide.jp/
(街歩きや体験プログラムもあります)
Writer
マキコ 1988 年熊本県生まれ。白川中学校を卒業後カナダへ。公立高校卒業、芸術大学卒業、キッズアートスクールで働き、バンクーバーの雨にうんざりしたのとカナダ滞在 10 年を区切りに帰熊。文房具屋、発達しょうがい児支援所、味噌・醤油・酢屋、熊大の非常勤講師、クラフトビールバー、個人的に英会話を教えるなどして、色々な職業を経験。今度はヨーロッパへの好奇心が押さえられなくなり、フランスで最も太陽が照る街ニースへ。ビラ・アーソン芸術大学院に就学中。